paris match 杉山洋介が語る『type Ⅲ』制作秘話
アーティスト・コラム

paris match 杉山洋介が語る『type Ⅲ』制作秘話

「杉山、日本のCTIを作ろうと思ってるんだ!」

1999年のとある午後。のちに僕らが大変お世話になるaosis records創設者の一人であり、初期paris matchのプロデューサー・鎌田氏(註:音楽プロデューサー:鎌田俊哉氏)の殺し文句を耳にした瞬間に、全てが廻り始めた気がしている。

CTI・・・その響きは、若き日(?)の僕や古澤辰勲(註:paris matchのオリジナルメンバーで、今もその大半の作詞を手掛ける音楽&映像クリエイター)を容易く瞬殺する反則ワードであったことは言うまでもない。

CTIとは、1967年に、プロデューサーのクリード・テイラー氏により、“JAZZの大衆化”というコンセプトの下でA&Mレコード内に創設されたレーベルである。所属アーティストは、グローヴァー・ワシントン・ジュニア/ジョージ・ベンソン/アントニオ・カルロス・ジョビンらを筆頭に、シーウインド/アイアート・モレイラ/デオダートなど、僕のフェイヴァリット・アーティストの宝庫である。のちのクロスオーヴァー/フュージョン/AORなどに通ずる、JAZZを聴きやすくスタイリッシュにした画期的なレーベルだ。

続けざまに鎌田氏は、「(aosisには)国内外の凄腕ミュージシャンたちが多数参加予定だし、そういうレーベルメイトと一緒に贅沢にPOPS作ればいいんだよ!」と畳み掛けてくる。

以降、僕と古澤のにやけが止まらなくなったのは想像に難くないであろう。二つ返事でaosis recordsの立ち上げに仲間入りさせてもらった。

そう、そんな僕らの鼻先にぶら下げられた魅力的な人参の恩恵を存分に授かって制作したのが、まさに今回再発して頂くこととなったアルバム、「typeⅢ」である。

デビューアルバムの「volume one」は、各レコード会社にプレゼンするために制作した6曲入りデモテープを多少手直ししてのリリースだったし、2枚目の「pm2」でも、ギターの松原正樹氏や吉川忠英氏、サックスの小池修氏やトランペットの佐々木史郎氏、トロンボーンの佐野聡氏といったaosisのレーベルメイトに参加しては頂いたものの、「はじめまして」状態であった僕自身が、遠慮やら恐縮やらでビビリまくっていた記憶がある。

ではなぜこの3rdアルバム制作のタイミングで、(意外に)小心者である自分が魅力的な人参の恩恵を最大限に活用し始めることが出来たのか。

大変おこがましい言い方をさせて頂くと、作編曲家として彼らをハンドリングできるようになったのか。

答えは単純だ。2ndのレコーディング時やレーベルのイベント終わりなどでの「飲み会」がきっかけとなったのだ。いわゆるノミニケーションというやつで(笑)、お酒の力を借りて、雲の上の大先輩たちと、いとも簡単に打ち解けることが出来たのだ。

まあ僕らの業界では定番というか、ありふれた光景なのだろうが、泥酔しながら「また次の作品お願いしますね!」「おう!今度はこんな曲もやりたいね、あんなこともやりたいね」と。翌日には記憶は無いのだろうけど(笑)

そんなこんなで、その最も典型的な楽曲であるオープニングナンバー「Saturday」は、極めてアレンジャー冥利に尽きる作品となった。

大袈裟かもしれないが、まさに“paris matchサウンド”が完成した、エポックメイキングな1曲であると自己分析している。

松原氏のゴキゲンな笑顔を想像しながらイントロのギターフレーズを捻り出し、「pm2」でそれぞれソロを吹いてもらったホーン3人衆(前述の小池修氏、佐々木史郎氏、佐野聡氏)を集めて、初めてセクション(註・ホーン・セクション。複数の管楽器隊の意)として参加して頂いた。佐野氏にブラス・アレンジを丸投げでお願いしたのも、この曲が初めてだ。

僕らが手にしたこの強力な新しい武器に、デビュー前のデモから協力してもらっていた当時新進気鋭(笑)の若きピアニスト堀秀彰氏、そしてずっとずっと前から僕の作品には欠かせない旧知の仲間ベーシストの沖山優司氏とキーボーディストの渡辺貴浩氏とともに、大満足の作品に仕上げることが出来た。

きっとインペグ屋さん(スタジオミュージシャンをブッキングするコーディネーター)では絶対に集めないであろう、paris matchならではの他には類を見ない組み合わせである。

ミズノマリの歌ダビングも、初めて僕の自宅スタジオを飛び出し、ビクタースタジオの大きな空間で、これまた初めて僕以外のプロデューサー(=鎌田氏)にディレクションしてもらった。

それまで僕は、当時大流行していたジャパニーズR&Bの熱唱系にあえて逆行するように、脱力系なささやき声(ウィスパーヴォイス)でミズノの声の心地良さを表現しようとしていた。いわゆるアンニュイな雰囲気系ヴォーカルだ。

だが鎌田氏は「Saturday」のディレクションで、声を大きめに出し、しっかりはっきり歌うように指示をした。結果、この楽曲にはそのアプローチがドンピシャだった。

ミズノのヴォーカルスタイルの幅が格段に広がった瞬間だったと記憶している。

今思うと、paris matchが昨今のシティポップブームの系譜としてカテゴライズされるのも、「Saturday」のヴォーカルスタイルが要因のひとつとなっているのかもしれない。

サウンド面では、谷田氏(註:ビクタースタジオのレコーディング・エンジニア:谷田茂氏)が初めて全曲ミックスを施し、マスターリングも、初めて川崎氏(註:ビクタースタジオ/FLAIRマスタリングワークスの川崎洋氏)にお願いした。現在も続く、音作りにおける“paris matchファミリー”が誕生した作品でもある。

そんな訳で、リード曲「Saturday」を始めとして3rdアルバム「typeⅢ」は、ある意味僕らparis matchにとっての “初めの一歩” となった作品と言っても過言ではないだろう。

この大事な作品を、今回もう一度CDという形で皆さんにお届けできる機会を頂き、大変嬉しく思っております。一人でも多くの方の耳に届きますように。

2021年9月30日

paris match 杉山洋介

<追記>

今回、「約20年前の制作思い出コラムを」との依頼があり、改めてCDを1枚まるまる聴き返してみることにした。当時のスタジオ・モニターの定番だったスピーカー:YAMAHA NS10Mも引っ張り出して。

まずは20年前の自分に「大変よくがんばりました!」と激励してあげたい(笑)。

とまあ、いつもの自画自賛はさておき、やはり曲順や曲間に拘り抜いたこの作品は、携帯音楽プレイヤーでのシャッフルなどではなく、是非CDで「Saturday」のドラムフレーズから「into the beautiful flame」が終わった静寂までをお楽しみ頂きたい。

久しぶりにこのアルバムを聴き終え、まず最初に甦った記憶は、マスターリングが終わり完成した夜に、二次会で我が家にやってきたギタリスト松原正樹氏ご夫婦と朝まで大騒ぎをして、翌日近隣住民から「うるさすぎ!」と苦情のメモをポストに張られたほろ苦い思い出でした(笑)。おしまい。