夜のハスキー 松尾和子
流行歌・コラム

夜のハスキー 松尾和子

松尾和子の初期の歌声を収めたアルバム作品「夜のハスキー」が配信アルバムとして復刻された。1960~63年にかけて10インチLPレコードで発売された「夜のハスキー」シリーズは、全部で7作品。そのうち、現在(2024年12月現在)、第4集までが配信化されている。「夜のハスキー」とは実に艶っぽいタイトルであるが、初期の松尾和子は、そのハスキー・ヴォイスで人気を博していた。“セクシー・ヴォイス”、極端なところでは“寝室ヴォイス”とも評され、大いにメディアを賑わしていたのである。

松尾和子は昭和10(1935)年生まれ。家族が働いていた箱根富士屋ホテルでジャズ・アコーディオン奏者の渡辺弘と出会ったことがきっかけとなり、歌の道に進む。昭和26(1951)年、16歳のときに『新橋フロリダ』でプロ・テストを受け合格、宮間利之とジャイブ・エーセスに参加する。その後、佐久間牧雄とジョーカーズ・クインテット、浜口庫之助とアフロ・クバーノのジュニア・バンドなどを経、昭和30(1955)年にレイモンド・コンデとゲイ・セプテットに加入。その2年後にフリーになり、内幸町にあったナイト・クラブ『マヌエラ』などで歌っていたが、昭和33(1958)年、力道山が経営する『クラブ・リキ』に移る。

ここで松尾和子の人気がブレイクした。「素晴らしい歌手がいる」という噂がまたたく間に広まり、『クラブ・リキ』には松尾和子の歌を聴くために大勢の客が押し掛けたのである。とくに聴衆が酔いしれた歌が、シャンソンの「メランコリー」であった。日本では岩谷時子の訳詞、越路吹雪の歌でよく知られる。この曲を歌うにあたって、松尾和子は越路吹雪に相談しに行ったという。そして快く承諾を得た。

押し掛けた聴衆の中に、後に松尾和子とともに“黄金デュエット・コンビ”を組むことになるフランク永井もいた。「メランコリー」にしびれたフランク永井は、作曲家・吉田正を誘って『クラブ・リキ』に連れ立った。吉田正も大いに気に入り、松尾和子にしか歌えない“大人のメロディー”の構想を練った。そしてビクターの敏腕プロデューサー・磯部建雄も参画し、松尾和子レコード・デビューのための戦略が着々と組み立てられたのである。

デビュー曲は「グッド・ナイト」。作詞:佐伯孝夫、作曲:吉田正、編曲:佐野鋤という、フランク永井の「有楽町で逢いましょう」と全く同じ布陣に、当時『週刊平凡』に連載されていた小説『グッド・ナイト』をテーマとし、さらに大ブレイクしたばかりの和田弘とマヒナスターズと共演という豪華さ、そしてさらにB面曲はフランク永井と共演の「東京ナイト・クラブ」と、これとない強力な作品で、昭和34(1959)年7月、松尾和子はレコード・デビューを果たした。

松尾和子が脚光を浴びるきっかけとなった「メランコリー」は、彼女のシングル曲としては発表されていない。唯一、昭和35(1960)年5月発表の松尾和子のファースト・アルバム「夜のハスキー ~松尾和子ムード集~」に収録されている。CD化もされていないので、今回の配信アルバムで初めてデジタルで復刻されたということになる。このアルバムでのいちばんの聴きどころはやはり「メランコリー」であろう。デビュー時は独特の艶っぽさがクローズ・アップされていた松尾和子であるが、この歌では違った顔を見せてくれているから。

<追記>

現在第4集まで配信化されている「夜のハスキー」シリーズ、ならびに松尾和子のアルバム作品は、今後も続々と配信化されるのでご注目ください!

<追記その2>

ちなみに松尾和子は、自身のラスト・アルバムとなった「私的・昭和歌謡掌史」(1988年発表作)の中でも「メランコリー」を披露しています。