遠藤遼一(ex. SOFT BALLET)のソロプロジェクト
“ends”がビクターに残した全MV初配信
2024年4月、ひとつのニュースがネットを駆け巡った。遠藤遼一が復帰に向けて準備中、endsはまだ終わっておらず、新作を制作中、というものだ。海外の音楽情報サイト『VMJ (Visual Music Japan)』に掲載されたこのニュースは、ファンの間で大きな波紋を巻き起こした。あまりの反響の大きさに、同サイトは「この情報はアーティストサイドによって検証された正確なものだ」という注釈を付け加えざるをえなかったほどだった。
もし遠藤遼一がendsの新作を引っさげてシーンに復帰、ということになればライヴ作『HI UNPLUGGED LIVE ~vibes Circus~』(2007)以来、スタジオ録音のオリジナル・アルバムということなら『FOUND』(2005年)以来ということになる。長年のファンからすれば、これ以上のプレゼントはないだろう。そしてカムバックを待ち続けるその間のお供に、格好のアイテムが登場した。endsのビクター・レコード在籍時代(1996〜2001)に制作されたミュージックビデオ10本が、ビクターの公式YouTubeチャンネルで初めて公式に配信されることになったのである。既にビクター時代の全音源は各サブスクリプション・サービスで配信済であり、これで彼らの最良の時代の全貌が手早く走査できる。
endsは、1995年のSOFT BALLETの活動停止後、ヴォーカリストの遠藤遼一が結成したバンドである。当初は「THE ENDS」という名称で、遠藤のソロ・プロジェクトのような位置づけだったが、やがて定冠詞がとれ、石垣愛(g、元The Mad Capsule Markets)、三柴理(kbd、元筋肉少女帯)、大山正篤(ds、元ZIGGY)、中島オバヲ(perc)という一騎当千のライヴ・メンバーが、スタジオワークでも中心となり本格的なバンド形態になった。楽曲は遠藤がほぼ全曲を作詞作曲し、石垣が一部で作曲に参加している。
遠藤は1989年にメジャー・デビューしたSOFT BALLETのフロントマンとして、プロの音楽家としてのキャリアをスタートさせている。SOFT BALLETはニュー・ウエイヴ〜シンセ・ポップ的なサウンドからスタートして、ロックにエレクトロニクスを大胆に導入するテクノ・ロック的な方向性を、ケミカル・ブラザーズやザ・プロディジーのはるか以前に実現した先駆的な存在であり、特異なヴィジュアル、森岡賢の「クネクネダンス」に代表される派手にショーアップされたステージ、耽美でダークな世界観などで、脳天気なバンド・ブームのさなかに「異端」としての存在感を遺憾なく発揮していた。その中で遠藤は、森岡賢、藤井麻輝という、あまりにアクの強い2つの個性を繋ぐ、ある種のバランサー的な役割を果たしていたように思える。時に殴り合いのケンカになるほど自己主張が強かったという森岡と藤井は遠藤というかすがいがあったからこそ一緒にバンドをやれていたし、遠藤は、あえて自己のエゴをおさえ、2人のソングライター/プロデューサーの欲望を具現化する、(語弊のある言い方をすれば)透明な装置に徹していたように思える。自分から望んでそうしたというより、そういう選択肢をとるしかなかった、という方が正解かもしれない。その容姿にも似た端正で落ち着いたヴォーカル・スタイルは彼の立ち位置から導き出されたものだったが、間違いなくSOFT BALLETの強力なシグネイチャーだった。
ところがSOFT BALLETという軛から逃れ森岡・藤井という強すぎる磁場から自由になった遠藤は、まるで解き放たれたかのように新たな自己を主張し始める。具体的にはSOFT BALLET時代の最先端のシンセ・ポップ〜テクノ・ロック的な方向性から、オーソドックスでオールドスクールなロックへ。石垣愛のソリッドなギター・ワークと、酩酊したようなオルガンを全面的にフィーチャーしたレトロ・モダンなサイケデリック・ロックへと大胆な変貌を遂げるのである。そして遠藤自身のヴォーカル・スタイルも、SOFT BALLET時代の中性的なものから、よりワイルドで男性的で逞しい骨格を感じさせる骨太なものへと変わっていった。これは遠藤の指向が変わったというより、隠れていた彼の真の姿が露わになっただけとも言える。もともと遠藤は60年代サイケデリックを代表するアメリカのバンド、ザ・ドアーズと、そのカリスマ・ヴォーカリストであるジム・モリスンに心酔しており、ends以降、彼らへの強い憧憬を剥き出しにするようになったのだった。実際、endsの曲にはドアーズの楽曲にヒントを得たと思われる曲がいくつかある。耽美的というよりタフなロックらしさを打ち出したステージでのパフォーマンスやヴィジュアルも、彼らからの影響が大きかった。
ファースト・アルバム『THE ENDS』に続く1997年のセカンド・アルバム『SPACY』は、6曲入りのミニ・アルバムながら、60年代サイケデリック・ロックにタブラなども導入してのエスニックでトライバルな仕掛けを交えたendならではオリジナリティを確立した記念碑的な傑作と言える。この年に出た主な日本のロック・アルバムといえばミッシェル・ガン・エレファントの『チキン・ゾンビーズ』やフィッシュマンズの『宇宙 日本 世田谷』、電気グルーヴの『A』、コーネリアスの『FANTASMA』などだが、時代の最先端と切り結ぶようなそれらの作品に対して、endsの時空を超越したオルタナティヴなスタイルの個性は圧倒的に際立っており、SOFT BALLET時代と変わらずその存在は「異端」と言えるものだった。
石垣、三柴、中島、大山、そして遠藤という花も実もある最強ラインナップで作られた3作目『HOWL』(1998)、4作目『FIRE WORKS』(1999)、そして岡野ハジメをプロデュースに迎えドラムに元E.Z.O.の本間大嗣を起用した『ADVENTURE 48』(2000)と、その独自のサイケデリック・ロックはますます充実していくが、2001年の『MAGIC DAYS』を最後にendsの活動は一段落し、かねてから囁かれていたSOFT BALLETの再結成プロジェクトが始まる。そこでもendsで確立した遠藤遼一の新たなスタイルは貫かれ、骨太で逞しい男性的ヴォーカルと、生々しく熱いパフォーマンスで客席を煽りまくる遠藤が、新生SOFT BALLETの新たな魅力を伝えていたのである。
期間限定だった再結成SOFT BALLETは2003年に再度活動停止。遠藤はendsに戻り、レーベルを移籍して『THE COUNTER』(2004)、『FOUND』(2005)の2枚のアルバムを発表するが、2009年東京・渋谷でのライヴを最後にバンドとしての活動は休止状態となり、遠藤は表舞台から姿を消してしまう。2014年にはかつての盟友・森岡賢と藤井麻輝によるユニットminus(-)がスタートし、遠藤の合流も期待されたが、2016年に森岡が急逝。遠藤は藤井と連れ立って森岡の葬儀に参列したあと、2016年8月13日に東京・赤坂ブリッツで行われたminus(-)のライヴで、SOFT BALLETの名曲「After Images」をこの公演のために新たに歌った音声のみで参加した。minus(-)は藤井のソロ・ユニットとして続いたが、2021年のライヴを最後に活動停止。そして2022年2月に行われたソロ・ライヴを最後に、「ライヴ引退」を表明した藤井麻輝のその後の消息も、杳として知れない。
endsとSOFT BALLETは、80年代から00年代にかけて音楽的にも商業的にも大きく発展した日本のロックの中の、とびきりの特異点だった。その主役だった森岡は退場し、遠藤と藤井は沈黙を守り続けている。endsの新作に関するニュースも,続報は今のところない。だがいつか必ず、その勇姿を我々の前に見せてくれる日が来ると信じて、残された10本のMVを見ながら、待つことにしよう。
TEXT:小野島 大
<MVプレイリスト>
ends(1996-2001) & SOFT BALLET(1992-1995) Music Video
<音源配信>
endsアーティストページ