沖縄について私たちが知らないこと(内田 樹)
今年(2022年)が沖縄の施政権返還50周年と聞いて、もうそんなになるのかと改めて歳月の流れの速さに驚いた。沖縄返還の年、私は21歳だった。だから返還前の沖縄がどんなふうだったのかは知らない。私たち本土の日本人にとって沖縄は「ほとんど外国」だったからである。もう記憶している人の方が少ないだろうけれど、沖縄に渡航するためにはパスポートの発給が必要だったし、現地通貨はドルだった。
私の2歳年上の兄が返還の少し前に「アメリカ統治下の沖縄」を見てきたいと言い出して、パスポートを申請して、わずかばかりのドル紙幣を懐に数日間沖縄旅行に出かけた。でも、帰ってからついに沖縄のことを話題にしなかった。兄が何をしに沖縄に出かけて、そこで何を見て、何を感じて戻ったのか、私は知らない。おそらく「観光旅行気分」で出かけた返還前の沖縄で経験したことを理解し、咀嚼し、語ることは兄の手にあまることだったのだろう。
その頃の過激派の学生たちはいろいろな言葉で沖縄返還を論じていた。ある者は「沖縄奪還」を主張し、ある者は「沖縄解放」を主張し、ある者は「沖縄独立」を主張した。共通していたのは「沖縄のことをよく知らない」ということだった。返還前の沖縄がどんな状態だったのか、私はたまに読む新聞記事に描かれていること以上のことを知らなかった。私が特別だったとは思わない。多くの日本人がそうだった。
この「制度的な無知」はおそらく戦後日本人が無意識に選び取ったものだろうと思う。
戦後の日本人たちはいろいろなトピックについて「知らないふり」をした。戦争の被害事実については雄弁に語ったが、加害事実については何も言わなかった。憲法制定過程については、それが「日本国民の総意」に基づいて起草されたものではないことを知りながら、何も言わなかった。沖縄だけがどうしてアメリカの施政権下に置かれねばならなかったのかについても、理路整然と説明してくれた大人に私はその頃一人も会ったことがない。
沖縄返還の後しばらく日本社会には思いがけない国土の拡大を寿ぐ「祝賀ムード」が漂っていたし、「沖縄のことをもっと知ろう」という機運も高まった。でも、それは裏を返せば、日本人が沖縄についてそれまでできるだけ考えないようにしてきたということを意味している。
沖縄の現実について今もまだ多くの日本人は知らないし、知ろうとしない。
このボックスに収められた歌曲のほとんどについて私は歌詞を聴き取ることができない。沖縄と本土の私たちを隔てる距離の大きさに愕然とすること。私たちはそこから始めるしかないのだと思う。
内田 樹(凱風館館長・神戸女学院大学名誉教授 2022年4月)
CD6枚組『沖縄島唄 伝説の巨人たち -本土復帰50年記念盤-』ライナーノーツより https://miqqe.jp/item/vfd-10466~71/