
名作詩の朗読のためのギター曲「プラテーロとわたし(Platero y Yo)」
プラテーロ(Platero)とはロバの名前である。詩人の名はフアン・ラモス・ヒメネス(Juan Ramon Jimenez,1881年12月23日-1958年5月29日)。1956年にノーベル文学賞を受賞。“プラテーロとわたし(Platero y Yo)”は詩人とロバとの絆と友情が強く感じられる散文詩集。ヒメネスはスペインのアンダルシア地方の田舎町モゲールに生まれ、10代にしてセビーリャ、バルセロナ、マドリードの新聞に詩を投稿、次第にその名を知られるようになる。15歳でモゲールを出てセビーリャ、マドリードと移り住んだヒメネスであったが、愛する父の死をきっかけに神経症を患う。サナトリウムでの療養生活の後、24歳で生まれ故郷のモゲールに帰り静かに暮らすようになる。詩人の傍にはいつもロバのプラテーロがいる。病んだ詩人はときに狂人のような扱いを受けながら、感じたことを詩にしたためてゆく。彼が描くのは 親友のプラテーロのほか、 様々な動物や植物、馬、犬、鳥たち、蝶、花や木々であり、さらには虐げられた人々、社会的弱者にも慈しみの目を向ける。老人、ジプシー、結核の少女…、普通の人々が目を向けない、あるいは見ても見ないふりをするような者たちを注意深く見つめる。ヒメネスはその後1936年にスペイン内戦が起こると出国。アメリカ、キューバ、プエルリコで活動。1951年以降は妻セノビアの故郷であるプエルトリコに落ち着く。1956年、ノーベル文学賞受賞の直後に妻のセノビアが死去、2年後の1958年にはヒメネス自身も妻と同じ病院で亡くなった。ヒメネス夫妻の遺骸はスペインに送られ、プラテーロと同じくモゲールの地に眠っている。
“プラテーロとわたし(Platero y Yo)”は洋の東西を問わず多くの人に愛され、朗読されてきた。日本でも新劇系の俳優らが好んで朗読した。そしてこの愛すべき散文詩の朗読のための曲を作ったのがマリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコ(Mario Castelnuovo-Tedesco,1895年4月3日 – 1968年3月16日)。テデスコ自身はイタリア人であり、ピアノ奏者であったが、名手アンドレス・セゴビア(Andres Segovia, 1893年2月21日 – 1987年6月2日)と出会い、ギター曲を作曲するようになる。この“プラテーロとわたし(Platero y Yo)”もアンダルシアの田舎の空気感を感じさせる秀曲揃いである。
ギター演奏の福田進一は現代日本を代表するギタリスト。1981年、パリ国際ギターコンクールでグランプリ受賞。F.タルレガやJ.ロドリーゴといったスペイン人作家の作品はもちろんのこと、H.ヴィラ=ロボス、A.C.ジョビン、ペルナンブーコ、S.アサド、A.ピアソラ、P.ベリナティ、M.ペレイラ、L.ブローウェル、M.M ポンセといったラテン・アメリカ諸国の作家の作品にもただならぬ情熱をもって取り組んでいる。現在は各配信サービスでも聴くことができるので、是非、日本が誇る名手の演奏をお楽しみいただきたい。