没後30年 スタンダード・ソングの巨匠・いずみたく
流行歌・コラム

没後30年 スタンダード・ソングの巨匠・いずみたく

平仮名5文字で覚えやすいこの作曲家の名前は、60~70年代のテレビ黄金時代に育った昭和っ子であれば知らない者はいないだろう。テレビのみならず、映画や舞台などさまざまな場所で目にしてきたであろうし、氏が紡いだメロディはあちこちで耳にしていたはずである。いずみたくは、冗談音楽、そしてコマーシャルソングのパイオニアとして戦後まもない時代に一世を風靡した才人・三木鶏郎の下で腕を磨いた作曲家。やはり門下生だった野坂昭如と共に独立した後も、コマーシャルソングを皮切りに、テレビ、映画、歌謡曲にミュージカルと、幅広い分野で豊かな才能を発揮して大活躍した。

 知らず知らずに耳に入ってくるコマソンでもっともよく知られているのは、現在も使われている「明治チョコレートのテーマ」や、野坂とのコンビによる「ハトヤの唄」辺りだろうか。やはり野坂と共に手がけた「セクシーピンク」は時代を先取りした傑作。「マーブルチョコレート」など一連の明治のCMでは、全日本CM協議会のACC賞の各賞を何度も受賞した。競合商品だった乳酸菌飲料「森永コーラス」と「不二家ハイカップ」をどちらも担当するなんて今では考えられないこと。さすがにカルピスは手がけていなかったようだが、どれだけ売れっ子作家だったのかがよく判る話だ。

 テレビドラマではなんといっても日本テレビの青春学園シリーズ。『青春とはなんだ』に始まり、『これが青春だ』『でっかい青春』『進め!青春』の主題歌と劇伴を担当し、70年代に入ってからも『飛び出せ!青春』から「太陽がくれた季節」、『われら青春!』からは「帰らざる日のために」と「ふれあい」の大ヒットが生まれた。佐良直美が歌ったホームドラマ『肝っ玉かあさん』の主題歌も忘れられない。

 60年代前半生まれがストライク世代にあたるのが、ケロヨンである。影絵作家の藤城清治が主宰していた劇団・木馬座のぬいぐるみ劇「カエルのぼうけん」から生まれたキャラクターはテレビ番組や映画化もされ、公演では武道館を超満員にする盛況ぶりであった。その一連の音楽を手がけたのもいずみたくで、ミュージカル仕立ての舞台から数々の名歌が生み出された。ケロヨン好きで知られる薬師丸ひろ子が『徹子の部屋』に出演した際、サプライズゲストとして登場したケロヨンに歓喜したエピソードがあるが、その『徹子の部屋』のお馴染みのテーマ曲もいずみたくの作なのである。

 代表作に挙げられる「見上げてごらん夜の星を」は同名のミュージカルから生まれた曲だった。現在でも若手俳優たちによって上演されており、当初の舞台では坂本九、九重佑三子、パラダイス・キングが歌った後、坂本九の歌でレコード発売されてジャパニーズ・ポップスのスタンダードとなる。ほかにも岸洋子「夜明けのうた」、佐良直美「世界は二人のために」、ピンキーとキラーズ「恋の季節」、由紀さおり「夜明けのスキャット」など、いずみたくは歌謡曲にも健筆を揮った。佐良直美「いいじゃないの幸せならば」は1969年の日本レコード大賞を受賞している。永六輔が作詞し、デューク・エイセスが歌った『にほんのうた』シリーズではレコード大賞企画賞と特別賞を受賞し、中でも「女ひとり」「いい湯だな」「筑波山麓合唱団」などがよく知られているだろう。

 かつて三木鶏郎の下に才能ある作家たちが集結したように、いずみが設立したオールスタッフ・プロダクションにも多くの作家やタレントが所属して活躍したのだった。歌手ではピンキーとキラーズ、由紀さおり、佐良直美、いしだあゆみ、由紀さおり、尾藤イサオら。スタッフは作詞家では山上路夫、尾中美千絵、作編曲家では淡の圭一、川口真、大柿隆、渋谷毅ら。後にフュージョン界の第一人者となる松岡直也もそのひとりである。ほかにも脚本家の松木ひろしや藤田敏雄も名を連ねていた。

 晩年に至るまでミュージカル制作に意欲的だったいずみたくが62歳でこの世を去ったのは1992年5月11日のこと。今年は没後30年にあたる。これまでにもその作品を集めたいくつかのレコードやCDが出されていたが、初めてのオールジャンル作品集となった『いずみたく ソングブック -見上げてごらん夜の星を-』は、ヒットソングはもちろんのこと、レア作品、テーマソング、CMソング、ミュージカルに至るまで多岐に亘り、作品を俯瞰出来るメドレーを収録したDVDも付属されている。いずみたくの膨大な仕事量のごく一部ではあるけれども、これまでにない規模のボリュームでバラエティに富んだ作品世界を堪能するのに格好のBOXである。                         Text by 鈴木 啓之(アーカイヴァー)