『ビクター・トレジャー・アーカイヴス』~ジャズ・プレイヤー出身の作曲家の魅力について
流行歌・コラム

『ビクター・トレジャー・アーカイヴス』~ジャズ・プレイヤー出身の作曲家の魅力について

中村八大、平岡精二、鈴木庸一には重要な共通項がある。

それは、高度成長期に突入して間もなくの煌びやかで勢いのあった時代のジャズ・プレイヤー出身の作曲家であるということである。

中村八大は1950年代にシックス・ジョーズ、ビッグ・フォアと人気バンドに在籍し、その後、国内レーベル発売盤最古のピアノトリオ作品といわれている『メモリーズ・オブ・リリアン』を発表。その作品のクオリティは大変高く、もし彼がジャズ・ミュージシャン一筋で生きていったとしたら、秋吉敏子や渡辺貞夫と肩を並べる我が国のジャズ・ジャイアンツになっていたであろうと推測する。おもにジャズのあれこれを生業にしている私からすると別の未来が見られなくて考えれば考えるほど、もどかしい思いだ。

とは言え、もし八大がジャズメンになっていたら、永六輔との「六・八コンビ」で産まれた大ヒット、水原弘「黒い花びら」、坂本スミ子「夢であいましょう」、Billboard Hot 100で3連続1位となり世界中で“スキヤキ・ソング”として大ヒットした坂本九「上を向いて歩こう」、ジェリー藤尾「遠くへ行きたい」、梓みちよ「こんにちは赤ちゃん」、三波春夫「世界の国からこんにちは」などの素晴らしい楽曲と出会えなかったのだから仕方あるまい、と自分に言い聞かせている。

平岡精二もまた生粋のジャズ・プレイヤーだ。1950年代、高校在学中に村上一徳とサーフライダースの参加でプロ入りすると、その後のゲイ・セプテットの看板プレイヤーになるなど頭角を現した。自己のクインテットで発表した『SEIJI HIRAOKA PLAYS MJQ FAVORITES』や平岡クインテットに宮間利之とニュー・ハードが加わった絢爛豪華なセッションを記録した『平岡精二+ブラス・コワイア』などの本格的ジャズ作品を残している。後者は、ヴァイブとブラスの珍しい組み合わせだが非常にモダンで洗練された内容となっており、和ジャズの隠れ名盤として好事家に愛されている作品である。平岡のジャズメンぶりは本編DISC.2でも存分に楽しむことができる。モダンジャズが好みのお方は③④⑤⑩⑪辺りを聴いたらウヰスキーに手が伸びてしまうこと請け合いである。

また、本作のDISC.1、⑦「謎の女「B」」が収録されているのも嬉しい。もちろん初CD化である。和モノ・フリーク垂涎の曾我町子の歌唱盤も最高だが、平岡の中性的な歌声を楽しめるセルフカヴァー・ヴァージョンも絶品だ。あらためてオリジナル7インチEPを入手したくなってしまう財布泣かせの“魔力チューン”である。

学生時代から“踊るコンダクター”スマイリー小原をリーダーに結成されたスマイリー小原とスカイライナーズのピアニストとして名を上げていった鈴木庸一は我が国におけるラテンジャズ、ラテンムード歌謡の帝王だ。1961年、渡辺マリ「東京ドドンパ娘」の大ヒット以降、ラテンタッチのリズム歌謡やブルース歌謡などの数々のヒット曲を世に送り出していくことになる。自らのバンドでもラテンやブルース歌謡のいわゆる軽音楽のアルバムを多数リリースした(余談だが、この手の作品はエロジャケやセクシージャケが多く一部熱狂的なコレクターが存在する)。

鈴木の最大のヒット曲は、横浜のご当地ソングとして令和の現在でも語り継がれている青江三奈「伊勢佐木町ブルース」だ。子供頃にこの曲が流れると何かイケないものを聴いてしまった気持ちになりソワソワしてしまったことを思い出す。本文のためにあらためて聴いてみたが、鈴木の音楽歴を知れば知るほどこの曲が必然的に産まれたのだなと感心した次第。青江三奈は1993年に『THE SHADOW OF LOVE ~気がつけば別れ~』をリリースしている。フレディ・コール、グローバー・ワシントンJr.、マル・ウォルドロンなどといった超豪華メンバーを従えた完全ジャズ作品である。この作品のピアノが鈴木庸一だったらどんなに最高だったのにと妄想してしまう。本作のDISC.2に初CD化となる鈴木庸一とラテン・カンパニオン名義のインストの「伊勢佐木町ブルース」も楽しめる。

最後に、中村八大、平岡精二、鈴木庸一の3名の音楽を通して聴いてみてあらためて感じたことがあった。
曲のところどころに効いたジャズ・フィーリング。
熱い時代にジャズを演ってきたからこそ、後のヒット曲が誕生したのだと確信した。
GWはゆっくりと古き良き昭和のヒットメイカー達の沼にハマってみようと思う。

塙耕記(JUDGMENT! RECORDS)